休戦期の和平交渉
この時期、秀吉は明が降伏したという報告を受け、反対に明の朝廷は秀吉が降伏したという報告を受けていた。
これは日本・明双方の講和担当者が穏便に講和を行うためにそれぞれ偽りの報告をした為である。
このため秀吉は和平に際し、明の皇女を天皇に嫁がせる事や朝鮮南部の割譲など、とうてい明側には受け入れられない講和条件を提示し、明の降伏使節の来朝を要求した。
一方、明の朝廷の側も日本が降伏したという証を要求したが、これも秀吉にとってはとうてい受け入れられるものではなかった。
結局日本の交渉担当者は「関白降表」という偽りの降伏文書を作成し、明側には秀吉の和平条件は「勘合貿易の再開」という条件のみであると伝えられた。
「秀吉の降伏」を確認した明は朝議の結果「封は許すが貢は許さない」と決め、秀吉に対し日本国王の金印を授けるため日本に使節を派遣した。
文禄5年九月、秀吉は来朝した明使節と謁見。
秀吉は降伏使節が来たと当初は喜んだが、使節の本当の目的を知り激怒。
使者を追い返し朝鮮への再度出兵を決定した。
これは日本・明双方の講和担当者が穏便に講和を行うためにそれぞれ偽りの報告をした為である。
このため秀吉は和平に際し、明の皇女を天皇に嫁がせる事や朝鮮南部の割譲など、とうてい明側には受け入れられない講和条件を提示し、明の降伏使節の来朝を要求した。
一方、明の朝廷の側も日本が降伏したという証を要求したが、これも秀吉にとってはとうてい受け入れられるものではなかった。
結局日本の交渉担当者は「関白降表」という偽りの降伏文書を作成し、明側には秀吉の和平条件は「勘合貿易の再開」という条件のみであると伝えられた。
「秀吉の降伏」を確認した明は朝議の結果「封は許すが貢は許さない」と決め、秀吉に対し日本国王の金印を授けるため日本に使節を派遣した。
文禄5年九月、秀吉は来朝した明使節と謁見。
秀吉は降伏使節が来たと当初は喜んだが、使節の本当の目的を知り激怒。
使者を追い返し朝鮮への再度出兵を決定した。
update:2010年07月24日
